10 February
機種変しました!
てか、してました。発売日(1/30)に。
D705iっす。
このところ、すっかりDづいて、D902i→D703i→D704i→D705i ときてます。
間で、N702iとかauのMEDA SKINとか使ってみたわけですが、結局、Dが使いやすいという結論に至りました。
スライドならではの、キー配列のコンパクトさが、指の短い私に合っているようです。
他には、
・ワンセグ、着せ替え、おサイフと、自分に必要な機能が一通り搭載されている。
・デザインが好み。
・文字入力の際、同じキーから入力する時に、勝手にカーソルが移動してくれる。
・スピードセレクタが、そこそこ便利。
このあたりが、気に入ってる。
この2年くらい、Dを中心にいろいろ渡り歩いてきましたが、これで打ち止めにするかも知れない。
かも知れないが、しないかも知れない(笑)
ひとまず、満足しておりますよ。
10:55:30 |
shi-sama |
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17 January
父が、死んだ
1月15日、13時10分。昼過ぎに病院から緊急の連絡が入り、母は自宅から、私と弟は職場から駆けつけたが、結局誰も間に合わなかった。
最期は一人で逝ってしまった。
本当にあっけなく、あっという間のことだった。
腸閉塞を起こして再手術をしたり、おかゆの食事と絶食を繰り返していたり、回復は順調とは言えなかったけれど、それでも、この頃は比較的病状は落ち着いていて、前日には、少し固めのおかゆになって、昼食も全部食べて、私と母とは「良くなってきてるね」と話をしたばかりだった。
朝方、少し血圧が下がったりはしたようだが、点滴を受けて一度は好転し、ドクターもさほど重大な状態だとは思わなかったという。
それが、昼前くらいから一気に血圧が低下し、その後は本当に真っ逆さまに落下するような勢いで心肺停止状態になった。
母が病院に着くまで、心臓マッサージを続けてくれたが、既に心臓は停止していて、戻ることはなかった。
私が病院に着いたのは、その10分後。
父の体には、まだ温もりが残っていた。
前にも書いたことがあったと思うが、父は家族の誰からも愛されていない人だった。
けれど最近は、精神科で処方された安定剤のせいか、性格が穏やかになり、「母さん母さん」と母を頼り、ドクターやナースにお礼の一つも言えるようになっていた。
それが、最期の兆しだったのだろうか。
私が最後に父と会ったのは、大晦日だった。
私の顔を見て、「うわーん」と声を上げて泣いた。
「正月くらいは家に帰りたい」と言った。
「うまいもんが食いたい」と言った。
「元気になって、家に帰ろう。今は辛抱して病気を治そうね」と言ったら、また泣いた。
母に髭を剃りなさいと言われ、電気シェーバーで自分で髭を剃っていた。
一足先に家に帰る予定だった私は、その後ろから「帰るよ」と声をかけた。
父は少しだけ頭をこちらに回して頷いたが、母が「そこじゃ見えんでしょ」と言ったので、父の横に回り、肩に手をかけて「じゃあね、頑張ろうね」と、もう一度声をかけた。
父はまた、顔を歪めて泣いた。
それが最後だった。
遅れて帰宅した母が、「正月だから,子供らにうまいもんを食わせてやれや」と父が言っていたと話してくれた。
時折、そんなしおらしいことを言ってびっくりさせる人だった。
正直、私たち家族は、別の覚悟を決めていた。
病気が良くなって家に帰ってきても、あの認知症の症状では、自宅での介護は無理だろう。
精神科か養護老人ホームなどに入ってもらうしかない。
それにしたって家族の負担は計り知れず、いずれ母も倒れ、家族総倒れになるかも知れない。
そんな私たちの心配を、見事に裏切ってくれた。
最後のわずかな月日で、母の心の氷をとかし、家族に愛されて死んでいった。
うまいことやりやがった。
死の前日、何の偶然か、父が夢に出て来た。
まったくの別人のはずなのに、顔だけが父のものすり替わっていた。
「お父さんじゃないでしょ!」と、夢の中で突っ込みを入れていた。
父自身に死の予感があったはずもないのに、あれはやはり、別れを言いに来たのだろうか。
今日、葬儀を終え、小さな骨壺に入って、4ヶ月ぶりに父が帰って来た。
葬儀社が用意してくれた祭壇に、ビールと初七日の折り詰めを供えた。
うまいもん、食いたかったでしょ。
ビール、飲みたかったでしょ。
奮発して、LAGERにしたよ。
発泡酒じゃないよ。
お父さん、幸せな人生でしたか?
大きな借金を抱えて苦労もしたけど、でもまあ、あれは自業自得だし。
家庭を省みず、ゴルフ三昧酒三昧。
家族サービスもなく、自分一人で遊び倒して、やりたいことはやってきたんだから、良しとしようよ。
でね、今はエルがいる。
エルのおかげで、私たちはもう笑ってるよ。
けらけら笑ってる。
運命というのか何なのか、巡り合わせというものはすごいものだね。
エルがね、居るんだよ、家に。
すごいよ、ほんと。
お父さん、じゃあね。
いつものように、「じゃあね」。
23:31:00 |
shi-sama |
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02 January
年越しチャット 2007-2008
終了しました。参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
次回があれば、また、よろしくお願いいたします。
00:03:00 |
shi-sama |
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01 January
今年も縁起がいいぜ
年越しチャットの書き込み。★ shi-sama@管理人 > おけおめ!今年もよろしく! (01/01-00:00:00)
こいつぁ春から縁起がいいぜっ!
00:02:10 |
shi-sama |
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31 December
さよなら2007
大晦日なので、今年一年を振り返ったりしてみようか。大きな出来事は3つ。
【その1】無事術後3年をクリア
6月にマンモと肺のレントゲン、11月にCTと骨シンチ、それに血液検査。
その結果、いずれも異常なし。
乳癌の完治と言われる10年はまだまだ先だけど、ひとまず、再発・転移の最も危険な時期は過ぎた。
一年々々、着実に。
癌が治らなくても負けたことにはならないけど、10年というゴールは何とか切りたいと思うのです。
【その2】父の大腸癌と認知症
9月に入院し、検査の結果大腸癌と診断された。
そして、初期の認知症であるとも言われた。
手術自体は無事に終わったのだが、術後の経過が思わしくない。
認知症であるが故に、ドクターの言いつけを守れず、抜糸も済まない内に、勝手に家に帰って来てしまったこともある。
何のために、今自分がしんどい思いをしているのか、何故辛抱しなければならないのかをなかなか理解できない。
肺炎をおこしたり、腸閉塞で再手術もした。
寝たきりの生活が続き、認知症は悪化している。
凶暴性が現れ、精神科で処方された安定剤を服用している。
その薬の副作用もいくつか出ている。
言ってみれば、状況は何一つ良くなっていない。
正月も病院で迎えることになった。
けれども、私はこれを不幸な出来事だと思っていない。
自分が発病した時にも思ったけど、たぶん、これは「今」で良かったんだ。
例えば私の闘病生活と同時期だったら、もっと我が家は悲惨な状態だっただろう。
例えば私がもっと年老いて、例えば母が亡くなってしまっていたような状態だったら、私が看病に時間を取られ、働き手が一人減ってしまうことになっただろう。
今より不幸な状況はいくらでも想像出来る。
それに、今、我が家には何より天使がいる。
その存在が、母や私をどれだけ癒してくれることか。
だから、父は本当に大変なのだけど、「今」で良かったのだ。
【その3】エルが我が家にやってきた
何をおいてもダントツの一位がこれだろう。
今、リビングで母の膝の上でまどろんでいるエル。
君が家に居てくれることが幸福だ。
私は君に、何の代償も求めない。
私が君を思うほどに、君が私を好きになってくれなくていい。
ただ、ただ、元気で、そして少しでも私と居ることを楽しいと思ってくれさえすれば、それで私は十分だ。
そう思える存在を手に入れたこと。
その大きさを、君は知らない。
君はあるがままに。
それだけで母しゃんは幸せだ。
そんな一年でした。
今年も色々お世話になりました。
来年もよろしくお願いしたします。
20:41:11 |
shi-sama |
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